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なるパパ日記

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『聖書と歎異抄』 五木寛之、本田哲郎

聖書と歎異抄

五木 寛之 / 東京書籍


五木寛之さんとカトリック神父の本田哲郎さんの対談本

仏教とキリスト教は、同じことを違う言い回しで言っているだけなんだと



もう一つの気付きは…

ブッダが(イエスが)
悟りをひらいて
それを弟子たちに伝えて
弟子たちがそれをお経に(聖書に)まとめて
仏教に(キリスト教に)なった

のではない


ブッダもイエスも、救われない(生老病死から免れ得ない)自分が(人間が)、
それでも生きる意味は何か、いかに生きるべきか

彼らが生きた時代が、彼らの語る言葉に響いたのだ
たしかにそれは大きな共感を生んだのだろう
でなければ宗教という形にならなかったはず


ただそれが 千年二千年を経たいまでも
集団、国家、体制、政治に大きな影響を及ぼしている
そのこととは分けて考えなければならない

いまの仏教、キリスト教 もちろんその他の宗教も
時代により様々に解釈を曲げられ今に至っていることを肝に銘じておくべきだ


仏典 (新旧)聖書 クルアーン その他諸々の経典は、それ自体が一番大事なものではない
それらは単に参考書であるにすぎない


本当に大事なことは、堂々巡りになるかもしれないが、
「本当に大事なこととは何か?」 を考え続けること


様々な経典に書かれてあることよりも、
いまじぶんが(あなたが)どう生きるのか そのことのほうが大事
主客逆転してはならない


「経典」、を「憲法」と言い換えてみればどう?

それは神がつくったもの? ひとがつくったもの? アメリカがつくったもの?



肝心なことは形ではなく、「たましい」
by naru_papa | 2017-05-08 00:03 | 読書 | Comments(0)
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